インタビュー|出産を経て見出した、一生歌い続けるために大切なこと。次世代の声楽家にも伝承したい ~新井田 さゆりさん

出産を経て見出した、一生歌い続けるために大切なこと。
次世代の声楽家にも伝承したい

声楽家/新井田 さゆり(あらいだ さゆり)さん

11歳と8歳の男の子のママであるさゆりさんは、その歌声をオペラやコンサートの場で披露する声楽家です。数々の国際的コンクールで受賞歴を持ち、フランスと日本の2カ国を行き来しながら音楽活動に情熱を注いできました。活躍はステージ上に留まらず、ボイストレーナーやピアノ講師という一面も。また自身の産後の経験を活かし「声楽家に向けた産後ケアやフィットネスケアのアドバイスがしたい」と、オンラインでのパーソナルトレーニングにも取り組んでいます。そんなさゆりさんは人生の転機にどう向き合い、どんな変化があったのか。また今後やりたいことについて伺いました。

 

音楽の道に進んだきっかけは、先生からの一言だった

― あなたにとっての人生の転機は?

「音楽の道へ進む」と決断した高校3年生の夏です。

声楽家としての原点は、生まれた環境にあります。大学の合唱サークルで出会った両親の影響を受け、私も小さい頃から歌うことが大好きで、どこでも歌っているような子どもでした。人一倍大きな声で歌っていた音楽の授業中、先生から「あなたのように歌える子はなかなかいないから、その歌声を大切に」と言ってもらえたこともあります。
その後、たまたま合唱部強豪校の中高一貫校に進学。合唱部に所属する先輩からスカウトを受けたとき、内心とても嬉しかったのですが、斜に構えていた私は入部を断ってしまいました。合唱部に入らなかったことは、その後も心残りがあったと思います。

ですが理系の大学進学に進路を決めていた高3の6月、突然音楽の先生から言葉をかけられました。「新井田さんは音大に行くつもりはないの?」と。一瞬驚きはあったんですが、次の瞬間「私、音大を受験したいと思っています」と返していたんです。頭で考えるより先に言葉として発していたこのときの会話は、今でも不思議ですね。この決断がなければ今の私はいません。

とはいえ学校の授業以外で音楽の勉強経験がない私は、音大入学に必要な知識はゼロ。音大受験を勧めてくれた先生の紹介で、いい音楽講師の先生と出会うことができましたが、それでも浪人覚悟でのスタートでした。高3の8月に受けた模試では、初見視唱(しょけんししょう ※1)、聴音(ちょうおん ※2)といった音楽家になるための必須スキルを学ぶソルフェージュの科目で、なんと100点満点中“2点”を叩き出してしまいました。他の科目も赤点ばかり。これには先生も頭を抱えていましたね(笑)。

そこからは、幼少期に少しだけ習っていたピアノの練習をはじめ、「こんなに勉強したことはない」というくらい猛特訓。でも音楽の勉強は楽しくて、自分でもぐんぐん伸びていく手応えがありました。そして高3の1月には、2点だったソルフェージュを98点まで持っていったんです。無事、現役で東京音楽大学に合格。さらには特待生枠にも選抜されました。

人生の分岐点となる音大受験を勧めてくれた先生はもちろん、突然音楽の道に進む決断をした私を後押ししてくれた両親には、感謝してもしきれません。10代で訪れた転機でしたが、そこに飛び込む勇気を持つこと。あの決断力が人生において大事だと思います。

※1 初めて見た楽譜で歌唱すること
※2 音を聞き分けること

サロンコンサートのワンシーン


出産後、初めて経験した「挫折」が気づかせてくれたこと

― その後、どんなことが変わりましたか?

目まぐるしい変化の連続でした。
実は目標だった音大合格を達成した私は、入学後、燃え尽き症候群になってしまったんです。必死になって習得した音楽の基礎知識も、周りにいる同級生は当然のように持っている。難しい課題が降りかかる毎日。そんな環境もあってか全くやる気が出ないまま、入学から2年近く経とうとしていました。

そんなとき、他の科の同級生が立ち上げたミュージカル研究会に、興味本位で参加。すると作曲担当の子から、「さゆりちゃんを主役にして曲を書きたい。このサークルに劣等生がいると思われたくないから、真面目にやって」と言われました。そこで気持ちが再燃し、気持ちを入れ替えることに。単位数が足りていなかった2年生までと打って変わり、大学3、4年ではトップ成績をおさめ、ありがたいことに学費も免除となりました。その後、大学院に進学しました。

大学院ではフランスオペラの研究を開始しました。フランスへの短期留学も視野に入れつつ、研究の一環で訪れた京都の日仏アカデミーで知り合ったのが、フランスで音楽講師を務めている声楽家。そこで「あなたはパリに来るべき」と言葉をかけられたんです。これは海外に行くチャンスだと直感的に感じ、「行きます」と返答。大学院修了後、留学の切符を手に入れて、フランスへ渡りました。それが2009年、24歳のときです。

フランスでは数々の出会いがありました。現地の指揮者や作曲家の方に見初めていただき、プロダクションの看板ソプラノ歌手としてオファーを受け、怒涛の日々が始まりました。留学から1カ月半で、40ページもある楽譜の暗譜をやり遂げるなど、音楽活動にも力を注ぐ一方で、フランス語習得のために語学学校にも通学。そこで出会ったのが現在の夫です。フランス人の彼は、日本語を学ぶために語学学校へ通う生徒でした。私が「ピアノの練習ができずに困っている」と相談すると、彼が別荘にあるピアノを貸してくれることに。そこから距離が縮まり、付き合うことになりました。

コンクールに試験に、音楽一色の生活を送る中、なんと2010年6月に妊娠が判明。夏休みの仕事がひと段落した8月に、日本の両親に結婚の報告と夫の紹介をしました。そのとき母は妊娠・出産と歌手活動の両立を心配してくれたのですが、私はとても楽観的で、「まだ若いし、出産後も問題なく歌えるよ」と大きく構えていたんです。
でも、母の心配は的中。長男を出産した2カ月後の2011年4月、演奏会の舞台に立ちましたが、そこで全く歌えなかったんです。まず歌声がいつもと違うし、目の前のお客さんの表情が苦くなっていくのが明らかでした。歌を歌っても誰も喜んでくれない状況を目の当たりにし、人生が終わったと思いました。音楽人生で初めての挫折でしたね。

先生をはじめ、周囲の人からは「無理しないで」「休んだほうがいい」と言われていたのに、アドバイスを聞き入れず、歌を歌い続けました。でも空回りを続ければ続けるほど、徐々に周囲と距離ができるように。そこでようやく気が付きました。妊娠中や産後の過ごし方は自己流ではいけないんだ、と。2012年に次男の妊娠が判明したときは、妊娠中から筋肉の維持を意識。産後もしっかりと休息し、少しずつ体を復活させるよう心がけました。すると2014年には、留学直後にオファーをしてくださった方々が、また声をかけてくれるようになったんです。

二度の出産を経験して改めて実感したのは、自分は「体の整え方」を理解していなかったということ。柔軟性やインナーマッスル、基礎体力を鍛えてこそ、どのような出来事にも揺るがない力強い歌を歌えるのだと思います。このことは自分だけが実践すればいいのではなく、次世代の音楽家にも伝えていかなければなりません。年齢やキャリアと深く関係する出産時期は、どの女性も思い悩むものですが、人生において出産を不安要素にしてほしくない。体の仕組みや解剖学、ヨガ・ピラティスを学びはじめ、新型コロナが流行して以降はオンラインでレクチャーできるトレーニングの資格を取得。レッスンを通じて、生徒さんにもケアの大切さを伝承しています。

フィットネス・トレーナー(オンライン)のレッスン風景


あのとき踏ん張ってよかった、と未来の自分が思えるように

― 今後の目標を教えてください。

出産後に挫折を経験したとき、歌をやめなくてよかったと心から思います。あのとき私を支えていたのは、「私は歌手なんだ」という強い気持ち。もちろん放り投げたくなったこともありましたが、やめてしまったら幼少期から私の歌を褒めてくれた方や音楽の道へ導いてくれた方を裏切るような気がしました。何より自分自身を裏切ることになる。いじけていないで前を向かなければ、と奮起しました。
また出産を機にやめたら、子どもにも申し訳ないですよね。むしろ子どものおかげで歌える人でありたい。歌えない日があるなら休めばいいんです。
最近では体も整い、思うように歌えていた頃に戻ってきました。歌を続けてきてよかった、踏ん張ってきてよかったと、当時の自分に感謝しています。だから目標を持つというよりは、今この瞬間を誠実に生きる。今の頑張りや努力が、自分の望む未来につながっているはずだと、信じています。

その上で、歌えない状況や前進できずに苦しんでいる声楽家のサポートをしたいです。私自身「歌ってはいけないんじゃないか」と悩んだこともありましたが、過去の私と同じような気持ちを抱く方に「歌っていいんだよ」と背中を押せる存在になれたら嬉しいですね。
音楽にはエネルギーがあります。歌を聴くだけで心が動いたり、過去を思い出したり、優しい気持ちになったりしますよね。人々の心に響く歌を歌い続けるためにも、せっかく神様から与えられたこの声を磨く努力をしていかなければなりません。努力をやめたら歌の神様は離れていくはず。誠実な歌い手として、そして次世代の音楽家を支える存在として、音楽に携わり続けたいと思います。

ヴォイス・トレーナーのレッスン風景

  ― 最後に、ママたちへのメッセージをお願いします。

「今」が一番若いです。不満や不平を言うのは簡単だけど、今を無駄にしてほしくない。きっと今笑顔でいることや感謝の心を持つことが、活き活きとした未来につながっています。苦しい状況の方もいるかもしれませんが、私は「今は下積み時代」と思うようにしています。子どもたちが巣立った40代後半から本番を迎えても、遅くはありません。100歳まで歌うため、今は基礎を固める期間と考えて、日々の鍛錬に力を注いでいる最中です。私も同年代のお母さんたちから刺激をたくさんもらっています。どのようなことがあっても諦めずに、前を向いていきましょう。

わたしと街のつながり

中央区とのかかわりは?
人形町に住んで4年。フランス人である夫が、下町情緒ある街の雰囲気を気に入り、住み始めた。

行きつけの呑み屋「坪根さん」で、大将と

この街の好きなところ
立地がいいため、どこに行くにも便利。特に自転車で街を走るのが好き。東京駅方面も両国方面も、自転車を少し走らせれば行ける。
おすすめのスポット
ジョギングでよく走る隅田川沿いがとても気持ちいい。また水天宮近隣に咲く大きな桜の木が綺麗。甘酒横丁にはたい焼き屋さんなど、いろいろなお店があるので楽しい。
わたしの子育て

わたしの家族
夫と、11歳と8歳の男の子。※2022年3月時点

子育てで大切にしていること
何事も本人の意思、意図を聞くようにし、選択も本人に任せる。親側から勉強や習いごとなどを強いるようなことはしない。子どもの意見を尊重するように心がけている。フランス人の夫がそのようなコミュニケーションをとっており、自分も自然と同じような接し方になった。
子育て生活での失敗談
失敗だらけ。昔は頭ごなしに叱ってしまうことも、感情的になってしまったがゆえに話をややこしくしたこともあった。しかしそれでは息子たちも私も楽しく過ごせないと気づき、少しずつ変わっていった。

 

■ 経歴 ■ 新井田 さゆり(あらいだ さゆり)さん
ソプラノ歌手、声楽家。東京女子学院中学校・高等学校卒業。東京音楽大学卒業、同大大学院修了。その後渡仏。フランスでは、プーランクのオペラ『ティレジアスの乳房』やオッフェンバックのオペレッタ『天国と地獄』の主役を務めた。2015年クレドール・コンクール一般・声楽部門銀賞、2017年レオポルド・ベラン国際音楽コンクール一般・声楽部門第2位、2018年第37回飯塚新人音楽コンクール入選など数々の受賞歴を持つ。2018年に帰国後は、音楽活動に加えて、産後ケアやフィットネスをメインとした、オンラインのパーソナルトレーニングも行う。2児の母。
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―編集後記―

幼い頃から歌が大好きで、音楽一筋の人生を歩み続けてきたさゆりさん。歌にまつわる数々のエピソードを聞き、さゆりさんは「音楽家になる星の下に生まれた」のだと感じました。歌声だけでなく、努力家でエネルギッシュな人柄も、周囲の人々を魅了してきた理由の一つでしょう。さゆりさんの言葉の中で特に印象に残ったのは、「過去の頑張りが未来の自分につながる」という言葉。パワーをもらえたインタビューとなりました。

 

2022年3月取材