「この子の笑顔のためにできることをしたい」
息子の発達障がいが教えてくれたこと
中央区いきいき地域サロン「凸凹カフェ」代表/五郎丸 崇江(ごろうまる たかえ)さん
崇江さんは、9歳の女の子と8歳の男の子のママ。年子(としご)の子育てで忙しくも楽しく過ごす毎日が、息子さんの3歳児健診をきっかけに一変し、大変になることが増えます。しかし発達障がいについて知り、向き合い、工夫を続けることで、小さな成長を心から喜べるようになったと語ります。そして自身の経験をもとに、自らも発達障がいの子どもたちやその親を支援する立場に。人生の転機にどう向き合い、どんな変化があったのか、また今後やりたいことについて伺いました。
息子の発達障がいに最初は涙。乗り越えられたのは「助けてほしい」と言えたから
― あなたにとっての人生の転機は?
第2子の長男が、3歳児健診で発達障がいと診断されたことです。
私はもともと「人」が好きで、バーテンダーやエステティシャンなど、人とコミュニケーションを取れる様々な仕事に就いてきました。第1子の長女を妊娠した時は化粧品会社に勤めていましたが、つわりがひどく、仕事を継続できず退社。さらに翌年長男が生まれ、年子のドタバタ育児が始まります。その息子の3歳児健診で発達障がいと診断され、人生が一変しました。
息子の発達が気になりだしたのは、2歳の頃に出ていた「パパ」や「ママ」という言葉が3歳になって消えたときです。保健所で「大丈夫よ」と言われていたこともあり、お気楽ムードで発達診断テストを受けました。そして蓋を開けてみると結果がよろしくない。あれよあれよという間に、息子が発達障がい者(ASD ADHD感覚過敏感覚鈍麻知的遅滞含む)だという現実を突きつけられました。息子が幼稚園年少の夏でした。
振り返ると、診断を受ける前もおかしいなと思うことはありました。授乳時におっぱいの触れる面積が最小限になるよう手で押さえていたり、ひどい癇癪(かんしゃく)持ちで、出先でいつもと違う道だと動かなくなったり、アリの巣を見つけて2時間も観察し続けたり。どうしてこの子はまっすぐ家に帰れないのだろうと思いながら、私はいつも怒って息子を急(せ)き立てていました。今ならその接し方は息子にとって苦しかっただろうとわかるのですが、当時の私は、息子が癇癪を起こしている理由が「わからないから」だとは思いもしませんでした。「これはダメ」、「危ないからやめて」。発達障がいの子にとってよくない抽象的な言葉で接していた結果、発語がなくなってしまったんだと思います。
息子が発達障がいと診断されてからしばらく、私は毎日泣いていました。夏休み明けの幼稚園に行くのがしんどかったです。周りの“普通の子”を見るのが辛いんです。普通ってなんだろう?自問しては泣く日々だったのですが、特別支援をおこなっている人からの「こういう子が生まれて来るのはママのせいでもパパのせいでも誰のせいでもなく、子どもが自分で選んで生まれて来たんだよ。」という言葉で立ち直る事ができました。「誰のせいでもなく、自分で選んできた道なら、私がこの子に出来るのはありのままを受け止めて一緒に成長してあげること、このまま泣いていてばかりではいけないな。」 と考えられるようになり、それからは「この子が笑顔で暮らせるにはどうしたらいいか」という考えにシフトチェンジしました。
そこまで約3ヶ月で、我ながら立ち直りは早かったと思います。もともとポジティブな性格というのもありますが、助けてほしいと発信できたことで周りの人に恵まれたのが大きいです。うちの子はこうなんだ、だからこんな情報が欲しい。抱え込むことなく周りに助けを求めた結果、詳しい人が挙手して情報をくれ、助けてくれたんです。息子の幼稚園にも発達障がい児に詳しい先生がいて、その方を中心に幼稚園側と交換日記をすることに。その中で、息子ができたこと、無理だったこと、練習したことなど、成長を一緒に見守ってくれました。療育(障がいを持つ子どもが自立した生活を送れるようにするための支援)にも、幼稚園をお休みや早退して一緒に通いましたし、発達をサポートするために言語療法や作業療法、心理療法も受けました。
息子の発達障がいに向き合う中で、大きな問題が新たに生じました。私が長女に対して、愛情表現をできなくなってしまった時期があったんです。発達障がい児の親に起こりがちなことらしいのですが、発達障がいの子どもか、またはそのきょうだいのことを、愛せない、と思ってしまうことがあるようです。私の場合は、それが娘に対してでした。当時は「下の子に手がかかるのに、なぜあなたまで手を焼かせるんだ」と思ってしまっていたんです。心理学の先生に、まずは言葉で娘に「好き」と言い続けるよう教えられ、抱っこしながら「大好きだよ」と伝えることを実践。5年くらいかかって、心から好きだよって言えるようになりました。どうしても息子に費やす時間が多くなるのですが、週1回は娘と2人きりでデートしたり、心理療法を一緒に受けたり、向き合える時間を作るようにしました。
とにかくてんやわんやでしたが、周りの手厚いサポートのおかげで、子どもたち一人一人に寄り添って、楽しく生活できるようになりました。
子どもたちは元気に息さえしてくれればいい
― その後、どんなことが変わりましたか?
発達障がいを持つ子どものママの憩いの場「凸凹カフェ」を立ち上げ、自らも子どもたちの支援ができるよう資格を取りました。
発達障がいの息子の親の実感として、同じ子育ての悩みを抱える親同士の、コミュニケーションや情報交換の場が必要だと思いました。たとえば、「5歳になっても『どうぞ』ができないことがある」というような相談をしたいとき。同じ悩みを抱えているママじゃないと「まだそんなこともできないの」って拒絶されそうで怖い、という声が多かったんです。そういう人たちが集まって話せる、情報交換ができる場として、2019年に立ち上げたのが「凸凹カフェ」。自治体の支援で足りないものが話の中で出てきたら、自治体にその意見を上げる、ということも活動としておこなっています。
息子が支援学校に通うようになってからは少し時間ができたので、私自身が発達障がい児の支援に関するいろんな資格を取って、子どもたちの支援をするようになりました。資格を活かしながら子どもたちと触れ合う中で、声かけがきっかけで言葉が出てきた子もいます。丁寧にわかりやすく、何回も何回も、たくさん話しかける。理解の仕方にも個性があって、視覚と聴覚で理解できる子もいれば、さらに刺激が加わることで理解する子もいます。発語が全くなくて「わーー」としか言わなかった子が、話し始めたときには感動で鳥肌が立ちました。この子たちは成長しないのではなく、たとえば他の子が1ヶ月でやることを、1年かけてじっくりやるだけ。5回で覚えることを、100回かけて覚えるだけ。長い時間がかかる分、1つ1つの“できた”を本当に喜べますし、心の底からすごいと思えます。小さな幸せを噛み締められる、本当に貴重な仕事だと思います。
親としての私自身の考え方にも変化がありました。それは、子どもたちが元気に息さえしてくれればいい、と思うようになったことです。
出産して間もない頃は、自分がそうであったように、子どもたちにもいろんな経験をしてほしいと思っていました。あれもさせたい、これもさせたいって。でも息子の発達障がいを知ってからは、元気に息さえしていればいい、と心から思っています。
私がママとして子どもたちを叱るのは、命にかかわること、他人を傷つけること、自分を傷つけること、の3つだけと決めています。それ以外では怒らないルール。そうすると私が楽なんです。お風呂上がりにびしょ濡れのままリビングを歩き回っても気にならないし(笑)、癇癪を起こして怒っている子に合わせて共感もできるようになりました。私の気持ちに余裕が出て、声のかけ方を工夫することで、息子自身の行動も変わりました。ダメと叱るのではなく、本人の気持ちを代弁しつつどうすればよかったのか伝える。とにかく「次」に繋がるようポジティブに励ましています。
ママと子どもの笑顔のためにできることを
― これから、やってみたいことはありますか?
初心にかえるという意味で、発達障がいを持った子のママを1人でも多く笑顔にすることと、その子どもたちが笑顔でいられる場所を1つでも多く作ることです。
子どもたちのためのママの創意工夫やがんばりは、絶対にその子たちのマイナスにはならないと思っています。ただ、「あれしなきゃ、これしなきゃ」と思って気を張っているママたちに、時には肩の力を抜いてもらいたいんです。子どもをニコッと笑顔にさせる一番の秘訣はママの笑顔。その気持ちを大事にしてもらうために、子どもたちの支援や「凸凹カフェ」の活動を通してママの肩の荷を少しでも軽くしたいと考えています。子どもたちの“できた”が増えることで、同じ仲間が集うカフェで「助けて」と声をあげられることで、ママが笑える。それが子どもたちの笑顔になる。そのときに子どもたちが笑顔で行ける場所があると、またママも笑顔になる。そんな相互作用で、笑顔の家族を増やす場を作り出すことを目標として活動しています。
― ママたちへのメッセージをお願いします。
ママになることを怖がらないでほしいです。がんばりすぎず、気負いすぎず。もしその子が障がいを持って生まれてきたとしても、それはママのせいでもパパのせいでもその子のせいでもありません。(発達障がいの場合は、)ただ人よりもちょっとのんびりなだけ、ちょっと個性が強いだけ。そんな心構えでいられると幸せもいっぱい感じられますし、気づきもいっぱい得られます。ぜひそんな子育てを楽しんでもらいたいです。
わたしと街のつながり
中央区とのかかわりは?
中央区築地エリア在住、勤務先の「スマイルキッズラボ」も中央区。
下町らしい雰囲気の残る人形町が大好き。娘と「甘酒横丁」で甘酒とたい焼きを飲み食いするのにハマっている。築地の飲み屋エリアも好き(現在は子育てのため自粛中)。
東急プラザ銀座内の「METoA Ginza(メトアギンザ)」。三菱電機のイベントスペースとなっており、無料で遊べる。
わたしの子育て
わたしの家族
夫と小学3年生の長女、小学2年生の長男。 ※2021年12月時点
長女は成長が早く絶賛反抗期中。気持ちが乗らないときは本当にそっけないが、私が忙しいときは風呂洗いなどをしてくれる気の利く子。親子だけど友達感覚。長男は徐々に癇癪が減り、最近は月に1回出るかどうか。知らない場所に行けなかったのも練習を重ねて少しずつ行けるようになり、世界を広げている。行きたいところやチャレンジしたいことも言えるようになってきたことに成長を感じる。お誕生日のときに「またママの子で生まれるよ」と言ってくれた。二人とも本当に優しい。
子どもたちの笑顔。泣くことが一つでも減って、笑うことが一つでも増える人生を送ってもらいたい。そのために、例えば子どもをギュッと力強く抱きしめたり手を握るなど、たくさんスキンシップを行っています。また子どもの気持ちを大切にすることや、些細なことでも褒めることなどを心がけ、子どもの笑顔につながるようにしています。
息子が4歳の頃、コンビニで売っているおもちゃが欲しくて店先で癇癪を起こした。近くを通ったおじいさんが声をかけてくれたのはありがたかったが、「ママをそんなに困らせるなら警察に連れて行くぞ」と言って息子を抱えてしまい、人に触れられるのが苦手な息子は、ひきつけを起こすほどパニックに。おじいさんにお礼を言いながらなんとかその場を後にしたが、それ以来息子はおじいさんが苦手になってしまい、うまく間に入れなかった自分に「やってしまったな」と感じた。
東京都中央区育ち。保健所の3歳児健診時に、長男の発達障がい(ASD ADHD感覚過敏感覚鈍麻知的遅滞含む)が判明。2019年に社会福祉協議会いきいき地域サロン「凸凹カフェ」を立ち上げ。メンバー約40名の代表。嗅覚過敏を抱える長男のためにメディカルアロマインストラクターを取得。その後も児童発達支援士、発達障害コミュニケーションサポーターなどの資格を取得し、自身の経験を元に発達障がいを抱える子どもとその親の支援やサポートをおこなっている。社会福祉協議会では支えあいまちづくり協議体(京橋地区)にも参加。2021年より「スマイルキッズラボ」にて、発達障がいの子どものサポートとその保護者の相談にも乗っている。また多胎児や軽度発達障がい児などの受け入れもしている「e-キッズ訪問保育」にてベビーシッターとしても勤務。
▶ホームページ
・凸凹カフェ
・スマイルキッズラボ
・訪問保育e-キッズ
―編集後記―
終始笑顔で穏やかに話をしてくれた崇江さん。お子さんの障がいに涙することもあったと言いますが、息子さんのおかげでいろいろな出会いや発見、不思議体験ができているそうで、本当に毎日を楽しんでいるのが伝わってきました。いつのまにか私が子育ての相談をしていたほど、なんでも受け入れてくれる方です。「障がいを持った子を育てる=大変そう」と一括りにしてしまっていましたが、少しでも現状を知ることで、みんなが生きやすい社会に近づくといいなと感じました。素敵なきっかけを提供してくれた崇江さんに本当に感謝です。
2021年12月取材